甲秀楼
令和元年5月7日
中国語名:甲秀楼
貴陽市内のほぼ中心部、南明河沿いにあり、貴陽市のシンボルと言える建築。「科挙で甲を取るほど優秀」という意味を汲んで「甲秀楼」と名づけられた。明代1598年、当時の巡撫(旧民政・軍政長官)である江東之が堤防を築き、その上に楼を建てたもので、高さ20mの3層作りの楼閣。楼の上からは、周囲の景色を一望に収めることができる。橋を渡ると、寺院建築と園林庭園の粋を集めた翠微園に、拱南閣や竜門書院などがある。「小さい西湖」の呼称もある。夜も22時頃まで開放。


貴陽市内のほぼ中心部、南明河沿いにあり、貴陽市のシンボルと言える建築。「科挙で甲を取るほど優秀」という意味を汲んで「甲秀楼」と名づけられた。明代1598年、当時の巡撫(旧民政・軍政長官)である江東之が堤防を築き、その上に楼を建てたもので、高さ20mの3層作りの楼閣。楼の上からは、周囲の景色を一望に収めることができる。橋を渡ると、寺院建築と園林庭園の粋を集めた翠微園に、拱南閣や竜門書院などがある。「小さい西湖」の呼称もある。夜も22時頃まで開放。



