日本四僧塔
令和元年5月8日
中国語名:日本四僧塔
明の時代、仏教を学びに来ていた日本人僧4人が、王朝内の権力闘争に巻き込まれ、大理に流刑されたという。その後、明朝は鎖国政策をとったため、この4人は帰国できないまま、この地で亡くなった。大理古城からほど近い映画村「天龍八部影視城」の一画に、彼らの供養塔がひっそりと残っている。案内によると、この塔は明の洪武年間(1368ー1398年)に建造されたもので、高さ6メートル。2005年には、雲南省で「単騎、千里を走る」を撮影中の高倉健が同地を訪問し銘文を残している。日中友好臨済黄檗協会のHPによると、4人のうちの一人、闘南永傑が建仁派妙法寺(京都市)の僧侶であった縁で、2009年、同地の崇聖寺と同協会との間で友好寺院協定が締結された由。


明の時代、仏教を学びに来ていた日本人僧4人が、王朝内の権力闘争に巻き込まれ、大理に流刑されたという。その後、明朝は鎖国政策をとったため、この4人は帰国できないまま、この地で亡くなった。大理古城からほど近い映画村「天龍八部影視城」の一画に、彼らの供養塔がひっそりと残っている。案内によると、この塔は明の洪武年間(1368ー1398年)に建造されたもので、高さ6メートル。2005年には、雲南省で「単騎、千里を走る」を撮影中の高倉健が同地を訪問し銘文を残している。日中友好臨済黄檗協会のHPによると、4人のうちの一人、闘南永傑が建仁派妙法寺(京都市)の僧侶であった縁で、2009年、同地の崇聖寺と同協会との間で友好寺院協定が締結された由。



