遵義会議会場跡

令和元年6月3日
中国語名:遵义会议会址

 貴州省北部に位置する遵義市は、毛沢東が中国共産党軍(紅軍)における指導的地位を握ることになった、中国近代史にとって重要な会議(遵義会議)が開かれた場所として有名である。高速鉄道の遵義駅の北東約6キロに位置する。それまでソビエト留学派が実権を握り江西省瑞金を拠点としていた紅軍は、蒋介石率いる国民党の大規模包囲作戦に追い詰められ、1930年10月に瑞金から退却、ここに12000キロにわたる「長征」が始まる。その途次、ソ連モデルの軍事路線が批判され、1931年1月15日から3日間、遵義で開かれた会議(中共中央委員会政治局拡大会議)で、毛沢東が政治局常務委員に選出され、紅軍は実質上、毛沢東の指揮下に入り、長征を続けることになった。敷地を入ると、正面の巨大な建物の方が目立つが、こちらは資料館。会議のあった建物は、手前右手に位置しており、当時の地元大実業家の邸宅だった由。周囲には他にも複数の当時の関連施設がある。入場無料ながら身分証明書(パスポート等)の提示が必要。