占里侗寨
令和3年1月6日
中国語名:占里侗寨
貴陽市から東へ約280キロ、従江鎮(中文:从江镇)の山奥にひっそりと佇むトン族(侗族)の集落。1368年に広西から戦火を逃れてきた呉占と呉里という兄弟が家族とともにこの地に定住を始めたことが集落名の由来となった。2005年まで同地への道路が整備されていなかったこともあり、ほとんど手つかずのまま独自のトン族文化を継承している。約150戸、770人と小規模ながら、特筆すべきは多産を戒める風習が脈々と継承されている点で、その旨を様々な表現で詠った古歌を各所に見ることができる。「薬師」と呼ばれる女性が、換花草という薬材と村の井戸水(男女別)で男女を産み分けるという神秘的な方法が伝承されており、ほぼ全家庭が男女1人ずつ出産することで数百年にわたり村の人口を維持してきたという。集落の田んぼには藁を干すための大きな木組みが目立ち、砦のような独特な外観と雰囲気を醸し出している。



貴陽市から東へ約280キロ、従江鎮(中文:从江镇)の山奥にひっそりと佇むトン族(侗族)の集落。1368年に広西から戦火を逃れてきた呉占と呉里という兄弟が家族とともにこの地に定住を始めたことが集落名の由来となった。2005年まで同地への道路が整備されていなかったこともあり、ほとんど手つかずのまま独自のトン族文化を継承している。約150戸、770人と小規模ながら、特筆すべきは多産を戒める風習が脈々と継承されている点で、その旨を様々な表現で詠った古歌を各所に見ることができる。「薬師」と呼ばれる女性が、換花草という薬材と村の井戸水(男女別)で男女を産み分けるという神秘的な方法が伝承されており、ほぼ全家庭が男女1人ずつ出産することで数百年にわたり村の人口を維持してきたという。集落の田んぼには藁を干すための大きな木組みが目立ち、砦のような独特な外観と雰囲気を醸し出している。







