天保寨
令和3年3月9日
中国語名:天保寨
市中心部から北西に約120キロ、潼南区の双江古鎮(別掲)から約20キロ離れた小高い丘の上に位置する清時末期の砦跡。文献によると、1859年から1960年にかけ雲南からこの地域に侵攻してきた李永和を首領とする一揆軍から身や財産を守るため、地元住民がこの砦を築いたとされる。現在残っているのは高さ約10メートル、周囲数百メートルの城壁部分だけ。2カ所の門があり、中では今も数軒の農家が生活を続けている。「区の文化財」との看板はあるが説明板さえなく、ほぼ荒れるに任せた状態となっている。地名としては「龍形鎮紅岩村→岩板堂」が目印となるが、車のナビを使っても分かりづらく、国道から脇に入ると道路状態も良くないので覚悟が必要。無料。


市中心部から北西に約120キロ、潼南区の双江古鎮(別掲)から約20キロ離れた小高い丘の上に位置する清時末期の砦跡。文献によると、1859年から1960年にかけ雲南からこの地域に侵攻してきた李永和を首領とする一揆軍から身や財産を守るため、地元住民がこの砦を築いたとされる。現在残っているのは高さ約10メートル、周囲数百メートルの城壁部分だけ。2カ所の門があり、中では今も数軒の農家が生活を続けている。「区の文化財」との看板はあるが説明板さえなく、ほぼ荒れるに任せた状態となっている。地名としては「龍形鎮紅岩村→岩板堂」が目印となるが、車のナビを使っても分かりづらく、国道から脇に入ると道路状態も良くないので覚悟が必要。無料。





