東渓古鎮
令和3年4月15日
中国語名:东溪古镇
重慶市中心部から南へ約105キロ、綦江区の繁華街からは南方に約30キロ、綦江に合流する手前の東丁河の一帯に、古い街並みのまま今でも生活している様子が見られる。案内によると、街の起源は何と紀元前202年で、唐の時代(644年)に東渓鎮という名前が付いてからでも1300年以上の歴史を有する。明清時代は物流の集積地として賑わっていたという。古鎮を示す大きな石版がある国道210号線沿いは寂れた雰囲気だが、そこを少し歩いて抗戦文化街という通りに入ると、一変して生活感の溢れる街が出現する。観光地化されていないので土産品屋などはなく、どこでも見られる日常の生活ぶりだけに、古い家屋群とのコントラストが興味深い。メインストリートから少し裏道に入ると、昔の会館(出身地ごとの集会所)、寺院、観音堂などの見所もそこそこ残っている。また東丁河の向かい側にも古い街並みが残っていて、そちらは版画街と呼ばれ、壁にペイントされている家屋が多く残る(1980年代の作品らしい)が、殆どは既に空き家となっているので活気はない。街の特産品は落花生で、店先や高速道路の料金所周辺の屋台などでよく見かける。無料。


重慶市中心部から南へ約105キロ、綦江区の繁華街からは南方に約30キロ、綦江に合流する手前の東丁河の一帯に、古い街並みのまま今でも生活している様子が見られる。案内によると、街の起源は何と紀元前202年で、唐の時代(644年)に東渓鎮という名前が付いてからでも1300年以上の歴史を有する。明清時代は物流の集積地として賑わっていたという。古鎮を示す大きな石版がある国道210号線沿いは寂れた雰囲気だが、そこを少し歩いて抗戦文化街という通りに入ると、一変して生活感の溢れる街が出現する。観光地化されていないので土産品屋などはなく、どこでも見られる日常の生活ぶりだけに、古い家屋群とのコントラストが興味深い。メインストリートから少し裏道に入ると、昔の会館(出身地ごとの集会所)、寺院、観音堂などの見所もそこそこ残っている。また東丁河の向かい側にも古い街並みが残っていて、そちらは版画街と呼ばれ、壁にペイントされている家屋が多く残る(1980年代の作品らしい)が、殆どは既に空き家となっているので活気はない。街の特産品は落花生で、店先や高速道路の料金所周辺の屋台などでよく見かける。無料。





