聶耳旧家

令和3年4月25日
中国語名:聂耳故居

  昆明市の旧市街、昆明老街(別掲)の甬道街に位置する。聶耳(1912-1935)は中国国歌「義勇軍行進曲」の作者で昆明出身。家屋は1884年に建築されたもので、現在の建物は2010年に修復されたもの。聶耳の父は医者で、1905年に玉渓市からこの地に転居し、自宅の一画に「成春堂」というクリニックを開設した。聶耳は反動運動を行ったことで国内逃亡生活を続けた上、1935年にソ連への留学を前に日本に到着した。滞在中、映画「鳳雲児女」のテーマ曲として「義勇軍行進曲」を作ったが、その直後、藤沢市の鵠沼海岸で遊泳中に死亡した。これがきかっけで昆明市と藤沢市は1981年に友好都市関係を締結している。「義勇軍行進曲」は日中戦争時に国民の士気を鼓舞する上で大いに使われ、1949年の中国建国時に正式に国歌として承認された。旧家は2階建てだが大変狭く、2部屋で聶耳の関連資料が簡単に展示されている。聶耳に関する資料は、西山の聶耳記念館がより充実している。無料。