聶耳の墓

令和3年4月25日
中国語名:聂耳墓

  昆明市の西南、滇池(別掲)からのロープウェイで西山駅を下りると、すぐの場所に位置する。聶耳は中国国歌「義勇行進曲」の作者で、日本滞在中の1935年、藤沢市鵠沼海岸で遊泳中に死亡した。享年23歳。この縁で昆明市と藤沢市は1981年に友好都市関係を築いており、鵠沼海岸にも聶耳の記念碑が建っている。聶耳の遺体は日本で荼毘に付された後に上海に戻り、1937年に西山に墓地が設けられ、現在地には1980年に移設された。左手の林には「昆明・藤沢友誼林」と書かれた2001年建立の記念碑が残っているほか、隣接する記念館にも聶耳の日本滞在時の資料が若干ながら展示されている。無料。