鎮遠古鎮
令和3年5月20日
中国語名:镇远古镇
貴陽市中心部から東へ約270キロ、鎮遠県の舞陽河と険しい石屏山に挟まれた場所に栄えた古い街並み。この地域は、秦の時代(紀元前277年)に県が置かれたというので2300年の歴史を有している。古鎮のあたりは宋の頃には既に、貴州東南部の政治、経済、文化、軍事の中心として栄えるとともに、インドやミャンマーなど東南アジアからの外交使節が通る「南方シルクロード」の中継地としても賑わっていた。現在まで保存されている史跡類は、明から清時代の様式を残したものが多い。この一帯はミャオ族が多く居住していることから、商店やレストランはミャオ族の伝統文化に関わるものが多い。最も賑やかな一帯は、青龍洞(別掲)前を起点とする長さ1キロくらいの興隆通り周辺で、対岸のレストラン街を含め、夜遅くまで賑わっている。無料。


貴陽市中心部から東へ約270キロ、鎮遠県の舞陽河と険しい石屏山に挟まれた場所に栄えた古い街並み。この地域は、秦の時代(紀元前277年)に県が置かれたというので2300年の歴史を有している。古鎮のあたりは宋の頃には既に、貴州東南部の政治、経済、文化、軍事の中心として栄えるとともに、インドやミャンマーなど東南アジアからの外交使節が通る「南方シルクロード」の中継地としても賑わっていた。現在まで保存されている史跡類は、明から清時代の様式を残したものが多い。この一帯はミャオ族が多く居住していることから、商店やレストランはミャオ族の伝統文化に関わるものが多い。最も賑やかな一帯は、青龍洞(別掲)前を起点とする長さ1キロくらいの興隆通り周辺で、対岸のレストラン街を含め、夜遅くまで賑わっている。無料。





