24道拐
令和3年7月9日
中国語名:24道拐
貴陽市中心部から南西に約200キロ(貴陽と昆明のほぼ中間点)、晴隆県の山地に位置する日中戦争当時に造られたS字カーブが続く未舗装道路。1936年に完成し、ビルマ(現ミャンマー)から昆明を経由し、その先は貴陽を通って臨時首都の重慶に物資を運ぶための生命線として使われていた。高さ260メートルの山腹を全長4キロにわたり計24の急カーブの未舗装道路がきれいに続く。米従軍記者がその景色の美しさを米国で報道後、2002年になってようやくその場所が特定された。現在は観光資源となっており一般車両は通行できない。遊客中心で登録後、専用カートで24道拐を往復し、4キロ離れた青隆山山頂の展望施設に向かう。同施設(抗戦軍事展覧館)には、道路建設時の写真に加え、補給路を断絶しようとする旧日本軍が24道拐や付近の盤江橋を空爆する写真なども展示されている。有料。


貴陽市中心部から南西に約200キロ(貴陽と昆明のほぼ中間点)、晴隆県の山地に位置する日中戦争当時に造られたS字カーブが続く未舗装道路。1936年に完成し、ビルマ(現ミャンマー)から昆明を経由し、その先は貴陽を通って臨時首都の重慶に物資を運ぶための生命線として使われていた。高さ260メートルの山腹を全長4キロにわたり計24の急カーブの未舗装道路がきれいに続く。米従軍記者がその景色の美しさを米国で報道後、2002年になってようやくその場所が特定された。現在は観光資源となっており一般車両は通行できない。遊客中心で登録後、専用カートで24道拐を往復し、4キロ離れた青隆山山頂の展望施設に向かう。同施設(抗戦軍事展覧館)には、道路建設時の写真に加え、補給路を断絶しようとする旧日本軍が24道拐や付近の盤江橋を空爆する写真なども展示されている。有料。





