日本人戦争捕虜収容地跡

令和3年7月9日
中国語名:日本战俘营
  巴南区には日中戦争時代の日本人捕虜収容地跡が数カ所に点在している。もともと貴州省鎮遠県にあった和平村(別掲)に収容されていた捕虜(最大約千人)は、旧日本軍が接近してきたことに伴い、1944年8月に重慶に移転、多くが終戦後引き上げまでの1946年7月まで滞在した。2021年7月現在で確認できる状況をまとめると以下のとおり(ネット情報によれば、以下の場所以外にも小規模な収容所は市内に数カ所点在していた模様)。
1.紅旗日本戦俘営
  最初の収容所は、紅旗村劉家湾(注:老龍洞から黄金公路を南へ約2キロを右折)にある地主の荘園に設けられた。現在、同地には数世帯の住民が新居を建て生活しているが、石碑とともに当時の施設の一部が崩れかけた状態のまま残っている。また地元住民によると、近くの洞窟内にも一部が収容されていた由。同地の収容人数は約400人。
2.鹿角三聖宮
  劉家湾で収容しきれなくなった約70人は、梁家辺にある三聖宮(注:軍民路から老街に入り約200m、巴南区鹿角供销合作社の一帯)に収容された。地元住民によると、寺は1950年代に取り壊され、現在は記念碑を含め何も残っていない。
3.鹿角日本戦俘営
  更にその後、収容しきれなくなった約400人が鹿角梁家辺(注:南泉病院(巴南区第4人民医院)の裏手)に収容された。現在、石碑とともに修復の終わった家屋が残っている(中は開放されていない)。